『竹人形文楽だから、原作どおり、観音詣りの前語りからやってみようと思った。 これまで殆どの曾根崎心中では、なぜか前語りを端折る慣習があって、残念に思われていたからだ。 浪速の霊場詣りを三十三番まで語ると、じつは導入部に登場する生玉神社の場が生きてくる。
お初が田舎の成金に花を買われて、一緒に参詣していて徳兵衛に出会う。
そこから悲劇の予兆が見える。
前語りはつまり、鈴の音を聞かせる効果があるように思う。
語り手の聞かせどころも生まれて、名調子で客をうならせてから、幕があいてようやく本題に入る。
原作者はここのところをもちろん計算にいれていただろう。
そこを尊重したかった。』
『竹人形文楽曾根崎心中』昭和62年立風書房より